こんにちは。
マダム・アフロよ。
人間ですから、色々やらかすわよね。
そんな時、免罪符のように使っていた
相田みつを先生のあの言葉…
「にんげんだもの」(笑)
清算前のレジで財布忘れたとこに気付いた…
いいじゃないか、にんげんだもの。
子供の保育園のバッグを職場まで持ってきた…
いいじゃないか、にんげんだもの。
買い物に行ったのに買ったものをスーパーに忘れてきた…
いいじゃないか、にんげんだもの( ̄▽ ̄;)
…いやいやアカンやろ、と
自分で突っ込みそうな日々の出来事にも
優しく寄り添ってくれる
みつを先生の言葉の数々…。
(使い方まちがってる!?(;・∀・))
それは相田みつを先生の人間臭い人生から
生まれてきたものかもしれないわね。
そんな相田みつをさんに振り回されたというのが
妻の平賀千江さんと息子の相田一人(かずひと)さん。
今回の爆報フライデーに登場するということで
気になって少し調べてみました。
良かったら一緒に見ていってね♪
出典:NAVERまとめ
目次
1.相田みつをの妻・平賀千江のプロフィール!相田みつをの馴れ初めは!?
相田みつをさんの妻、平賀千江さんの
詳しい生年月日などは分からなかったけれど
現在91才ということなので
1927~28年(昭和2~3年)生まれと
考えられるわね。
ちなみに相田みつをさんは
1924年5月20日生まれなので
3~4才年下ということね。
みつをさんは不遇の時代を抜け
売れだした1991年に
道でころんで足を骨折し、脳内出血に。
それが原因となり急逝されているわ。
もし生きておられたら94才…
どんな物凄い作品が生まれていたか
つい考えてしまうわね(^^;)
一報の平賀千江さんは、実は
大きな商家の末娘…お嬢様だったみたい!
相田みつをさんとの出逢いは
「歌会」だったというのが
また相田夫婦らしくて素敵ね~!!
きっと元々歌がお好きだったであろう千江さん、
相田さんの才能にいち早く気付いたのか、
あるいは千江さんにほれ込んだみつをさんが
得意の詩歌で千江さんの心をつかんだかしら。
2006年に放送されたテレビ朝日開局記念ドラマ
「にんげんだもの~相田みつを物語」では
木梨憲武さん演じる相田みつをさんが
妻の千江さん(薬師丸ひろこさん)との
出会いのシーンが優しく暖かく表現されているわ。
千江さんと出会い初めて言葉を交わしたその日、
何度も「千江」「逢」という文字を書くみつをさん。
最初はきちんとした楷書だったのが
段々とやわらかく変容していく様子…。
千江さんとの出逢いによって
「書くことの楽しさ」に心から気付くというシーン。
詩人だなぁ…。
うん、詩人だったわね(*^_^*)。
でも、不器用で収入がなかった
相田さんとの結婚には周囲の人々が反対したみたい。
平賀千江さんが、お嬢様だったことも含めて
まぁ、そうなるわよね~( ̄▽ ̄;)
それを押し切って1954年に結婚!!
今よりずっと家同士の繋がりが強かった時代、
良く決断されたと思うわ…。
2.平賀千江と義母との確執、息子の一人との苦労が爆報フライデーで!?
こうして1954年に晴れて夫婦となった
相田みつをさんと平賀千江さん。
お二人の間には男の子と女の子
二人のお子様が生まれたみたい。
その一人が1955年9月2日生まれの
相田一人(かずひと)さん。
名前の由来については、みつをさんの日記に
その理由や想いが綴られているわ。
気骨ある人に成長するように、
何事も一人でやっていけるように、
一日も早く一人立ちできるように、
という願いをこめて『一人』と命名した。
また、転じて後、人生の孤独、寂寥、悲哀等を
一人で堪えてゆかねばならぬ時の事を考えて、
あえて『一人』と名付けた次第なり。
出典:Wikipedia
ここにも相田みつをさんらしい
生き様のようなものが感じられるわね。
ちなみに一人さんは今、
「相田みつを美術館」の館長をされているわ。
しかし、決して順風満帆な結婚生活ではなく、
相田一家には色々な苦労があったみたい。
今回の爆報フライデーでも詳しく
放送されると思われるけど、
まず家族四人は八畳一間で暮らす一方、
みつをさんだけは三十畳のアトリエを独占
というから驚きよね。
…アフロなら、許さないだろうなぁ。。
さらに、人間臭く、わがままで、
嫌いな相手とすぐケンカになり、
しかも女性に凄くモテたという相田みつをさん。
…才能が無ければ社会不適合者の烙印を
押されかねないわね~(^^;)
その人間臭さが作品の魅力でもあり
たくさんの人々に愛されるきっかけにも
なったんだろうけど…
平賀千江さんの苦労を考えると
なんだか胸が痛むわ…(T-T)
それだけでも妻として大変だった平賀千江さんを
さらに困らせたのが義理の母親の存在!
実は、相田みつをさんには兄が2人いたんだけど
戦争でお二人ともお亡くなりになっているのね。
お母様からすると大切な3人息子のうち
2人も戦争で亡くすなんて
想像を絶する悲痛な心境でしょうね。
だから余計に、みつをさんへの執着が強かったみたい。
平賀千江さんとの結婚は、
「最後の息子まで取られた…」という気持ちに
繋がったのかもしれないわね。
結構ひどい嫁いびりがあったみたい。
商家のお嬢様から反対を押し切って嫁入りしたのに
義理の母からはイジメられ、
八畳一間の貧乏暮らし、
夫は自由気ままに作品に没頭…。。
「耐えて偲んで」の昭和の女を
地でいっておられた凄い女性だったのね。
でも、そうやって支える妻のおかげで
「相田みつを」という存在が世に出て認められ
私たちもたくさん知る機会を得たと思うと、
糟糠の妻・平賀千江さんの存在は
本当に「おかげさん」、ね。
出典:Amazon