こんにちは。
マダム・アフロよ。
日本の株価がおっそろしいことに
なっているわね~!!(;・∀・)
過去のバブルの恩恵なんて知らない
アラフォー世代のアフロには、
嬉しいというよりちょっと
怖いものを感じてしまうんだけど…( ̄▽ ̄;)
そんなシン・バブル時代に
思わぬ注目を浴びているのが
「成金おじさん」&フィギュア!
お金を燃やして灯り代わりにする
破天荒なおじさんのイラストは
教科書で見た人も多いんじゃないかしら?
そのフィギュアが今、爆発的に売れていて
生産が追い付かないんだとか…。
今回は、そんな「成金おじさん」の正体や
フィギュアの販売・価格などの情報を
お届けするわよー!(,,ΦωΦ,,)
良ければ最後まで一緒に見ていってねー♪
目次
1.成金おじさんが登場する成金栄華時代(和田邦坊)とは?
出典:ねとらぼ
この絵…見たことある人も
多いんじゃないかしら?
暗い場所で靴を探している女中さんに対して、
お金持ちの男性が紙幣を燃やして
「どうだ明くなったろう」と
ドヤ顔しているインパクト特大の風刺画…。
今見ても凄いわね…( ̄▽ ̄;)
描くいたのは和田邦坊(わだ・くにぼう)という
日本の漫画家・画家・デザイナーさん。
描かれたのは1928年(昭和3年)頃みたい。
今の毎日新聞に繋がる東京日日新聞社に入社し、
記者や風刺漫画家として活動していた和田邦坊さん
…時代を見事に切り取った描写力は流石ね。
ちなみに、この成金おじさんが燃やしているのは
百円札なんだけれど、
現在の価値に換算すると約30万円!!
…それだけあれば、
あんなものや、こんなものも
買えるのに…くぅぅ~っ!!(*T^T)
2.山本唯三郎(成金おじさんモデル)プロフィール
さて、笑顔が憎たらしくも可愛い
この成金栄華時代の「成金おじさん」。
そのモデルは、
山本唯三郎(やまもと・たださぶろう)。
1873年岡山県生まれの山本は、
もともとは貧しい家の生まれで、
竹細工の内職や豆腐屋で働きながら
苦労しながらも熱心に
勉強していたみたい…(*T^T)
10歳で職を求めて大阪に出ると、
日給15銭の印刷工として働きながら、
同志社系の学校である泰西学館の
夜学に通って英語を学んだというわ。。
その後も牛乳配達をしながら、
札幌農学校にてあの新渡戸稲造の教えを受け、
卒業後に北海道での石狩平野開拓によって
大地主となり、初めての成功を収めるのね!
更に日清戦争後、中国との貿易の活発化を見越た
山本唯三郎は貿易会社「松昌洋行」の社長に就任。
材木や石炭の貿易で大きな利益を上げるの。
追い風に乗ってきた感じね!(*・∀・*)v
その後、1914年に第一次世界大戦が勃発すると、
船舶需要に目を付け、船舶輸送業を強化。
購入した20隻以上の船を欧州航路などに
投入した結果、巨万の富を築くことに!!
…こうやって見ていると
時代を流れ&ビジネスチャンスを
読みとる感覚がケタ外れね。。
その経緯から、ついな呼び名が
「船成金」…(一ω一;)
他にも「成金の中の成金」とも…。
でも、本人はこの「成金」という
呼ばれ方を嫌っていたみたい。
実際、成功までに苦労もされているしね。
そういった人も運だけでお金持ちになった人も
一括りにして「成金」と評するのは
いかがなものか…、
自分は決して世間でいうところの
「成金」ではない…と
「実業之日本」という雑誌の中で
反論されているわ。
とはいえ、山本唯三郎の最盛期の資産は
約4千万円…現在の価値で約1,200億円!
羨望や妬みも込めて
人々はそう呼んでいたのかもしれないわね。
3.山本唯三郎(成金おじさんモデル)驚愕エピソード~100円札燃やしからアムール虎狩りまで
やっていることが
良くも悪くも目立っちゃうのが
山本唯三郎氏。
和田邦坊の「成金栄華時代」の
モデルとなったエピソードも、
元ネタはもっと凄かったみたい。
函館の料亭で楽しんだ後、
玄関で履物を履こうとした山本氏。
暗くて良く見えないため、
懐から当時の最高額紙幣である
百円札の束を取り出し火をつけたそうな。
百円札じゃなかった!
百円札の束だった!!Σ(゚д゚lll)ガーン
さっき、当時の百円は約30万って
書いたけれど、1束が100枚だとすると、
3,000万円を燃やしたのかーーっ!!?
芸者さんは驚いて消そうとしたけど(そりゃそうだ)
「よせよせ、そんな物ならいくらでもやる。
鼻紙なんか何にするか。」と、
カバンから更に百円札の束を取り出し、
鼻水が出てもいないのに
鼻を拭く真似をしてみせたんですって。
…なんかカチンとくるわね( ̄▽ ̄;)
さらに1917年には朝鮮半島で
虎狩りをした山本唯三郎!
出典:Wikipedia
1か月間にわたる虎狩りの成果は
アムール虎が2頭。
各界の大物を招き虎肉試食会も
行ったというわ。
ちなみに、虎肉の味は
トマトケチャップでマリネにして
提供されたようだけど、
試食に耐えられるものではなかったみたい。
…肉食獣の肉はマズそうね(-ω-;)
2頭の虎のはく製は、
後の昭和天皇となる皇太子と
同志社に寄付されたというわ。
そして、この破天荒な業績で
山本唯三郎は虎大尽という
さらなる二つ名で呼ばれるように
なったそうよ。
色々とやることがケタ外れの
山本唯三郎だけれど、
最後は第一次世界大戦終了後の不況
…戦後恐慌の波に直撃し、没落。
ほとんどの財産を失って、
吉祥寺にある自宅でわびしい生活を送り、
1927年(昭和2年)、胃痙攣のために
自宅で急死したそう。
享年54歳…
生前は結構、寄付や慈善活動なども
精力的に行っておられた良い人なのに
なんだか切ないわね…(*T^T)
4.成金栄華時代のフィギュアがスゴイ!販売や価格、新商品も!
そんな山本唯三郎をモデルとした
「成金おじさん」が
なんとフィギュアになって
令和の時代に登場!!
今、スゴく話題になっているのね!
持っていらっしゃるかしら?
元々は和田邦坊が、
パッケージなどを手掛けた
地元・香川の善光寺市の「灸まん」。
そんな「灸まん美術館」では
和田邦坊氏の作品が
数多く展示されているのね。
この「灸まん美術館/和田邦坊画業館」が監修し
神戸にあるフィギュア制作会社の
「吉本アートファクトリー」が制作し、
2022年の登場した公式フィギュアが、
「和田邦坊/成金栄華時代 成金おじさん アクリルスタンド付き」。
フルカラー3Dプリンターを使って忠実に再現し、
高さ5センチほどの手のひらサイズに
商品化された逸品よ☆(>▽<)ノシ
「ほしすぎる」というコメントを添えた
X(旧ツイッター)の投稿で話題となって、
人気に火がついたみたいだけれど、
これは確かに欲しすぎるわー!!
このフィギュアの価格は5000円。
- 身長5cm成金おじさん 1点
- セリフ「どうだ明るくなったろう」のアクリルスタンド 1点
から構成されているわ。
販売は吉本アートファクトリー直営の
通販サイト
から出来るみたい。
また、香川県在住の方なら、
灸まん美術館の方で予約を
受け付けて下さるみたい。
灸まん美術館:0877-75-3000(火曜日・水曜日は休館)
ホームページのお問い合わせフォームからのお申込みもOK。
だけど、現在、
フィギュアの販売業者と美術館の方で
受け付けられた予約と販売は
約3日間で200個以上!
2月7日では美術館の在庫が完売、
入荷日は未定なんだとか…
これは相当な入手困難品ね( ̄▽ ̄;)
そんなアナタに朗報!?
なんと「成金おじさん」の新商品が
出るみたい☆(・∀・)ノシ
新しく登場したのは
しかも、女中さんとのセットで
お値段1600円!!
これは成金おじさんも驚きの
リーズナブルな価格じゃないかしら!?
さらに、美術館では、
成金おじさん…もとい
販売されているというから、
成金おじさんに心奪われた乙女は
香川に走るしかないわねッ!(゚∀゚*)
灸まん美術館
出典:Google
〒765-0052
香川県善通寺市大麻町338
休館日 毎週火曜日・水曜日・年末年始
開館時間 9:00-17:00
まとめ
いかがだったかしら?
和田邦坊の「成金栄華時代」の
モデルとなった「成金おじさん」こと
山本唯三郎。
百円札ファイヤーな一面だけが
クローズアップされているけれど、
調べてみると若い頃には
色々と苦労もされており、
真っ直ぐで情熱的な人柄が
浮かび上がってきて、
ちょっと印象が変わったかも!?
とはいえ、虎狩りなんていう
破天荒な行動も含め、
色んな人に色んな感情を
持たれた人であることは
想像に難くないわね( ̄▽ ̄;)
時代を読む眼に恵まれながら
時代に翻弄された山本唯三郎氏…。
この令和バブルの時代に、
今回は揶揄ではなく愛される形で
再び脚光を浴びることになった
その行動と造形は、
私たちの仄暗い足元を
明るく照らしてくれるかも!?
晩年が悲しかった成金おじさん。
草葉の陰から今の時代を
どう見ているのかなぁ
…なんて、想いを馳せつつ、
あんな風に軽やかに
時代の流れに乗ることを夢見るアフロよ。
今日も最後まで読んでくれて
ありがとうねー!