こんにちは!
マダム・アフロです。
今日はNHK Eテレ、23時から放送の
新番組「デザイントークス」に出演される
アートディレクターの
佐藤可士和さんについて
調べてみました。
ある一定年齢以上の人には
懐かしいCM↓
「HUNGRY?」シリーズ。
このCMを手がけた大貫卓也さんに憧れ
この世界に入った佐藤可士和さん。
紆余曲折を経て
今の地位に至るまでの経緯と
それを支えた奥様の存在に
スポットを当ててみたいと
思います!
プロフィール
出典:NEVERまとめ
生年月日:1965年2月11日
出身地:東京都
出身校:多摩美術大学美術学部
目次
- 佐藤可士和(アートディレクター)のロゴデザイン作品の数々
- 佐藤可士和さんとは?経歴wiki
- 佐藤可士和さんが時代のアイコンとなるのを支えた妻の存在
目次
1.佐藤可士和(アートディレクター)さんのロゴデザイン作品の数々
佐藤可士和・・名前は知らなくても
彼の作品を知らない人はいないでしょう。
【TSUTAYA】
【ユニクロ】
【楽天】
出典:いずれもNEVERまとめ
私たちの生活の中で
目に触れるものの中で
佐藤可士和さんは
至る所で存在しています。
出典:あげまん理論
今やこの業界のトップランナー、
時代のアイコンとなった
佐藤可士和さんですが
そこに至るまでには
色んな紆余曲折があったようです。
次はそんな佐藤可士和さんの
経歴をまとめてみました。
2.佐藤可士和さんとは?経歴wiki
佐藤可士和さんは1965年東京生まれ。
お父さんの佐藤明さんは
建築家でもあります。
成城高等学校→
御茶ノ水美術学院と進学し、
多摩美術大学に入学。
グラフィックデザインを専攻して
卒業されています。
そして、最初にも書いたように
大貫卓也氏に憧れ、
株式会社博報堂に入社。
その後、3年間関西支社に配属。
そこでは、
「やる気が空回りだった」と
話しておられます。
東京に戻って、
あこがれの大貫卓也氏と
一緒に仕事をする機会に
食い下がった佐藤可士和さん。
そこで
「イメージは付加するのではなく、
相手から引き出すものなんだ」
という答えを見つけます。
そして、出来上がったのがコチラ!!↓
久しぶりに見ましたが、
良いCMって
今でも覚えているもんですね~!
ちなみに、このイラストも
佐藤さん自身が描かれたものだそうです。
その後、200年に独立し
「株式会社SAMURAI(サムライ)」
を設立しました。
名前の「サムライ」は
自身の名前・佐藤可「士」和から
取られたようです。
3.佐藤可士和さんが時代のアイコンとなるのを支えた妻の存在
佐藤可士和さんの奥様は
佐藤悦子さんで現在は佐藤さんの
マネージャー業をされています。
元々、広告代理店の営業職でもあり
化粧品のマネージャーもされていた
佐藤悦子さん。
出典:あげまん理論
彼女のマネジメント能力が
本当に素晴らしい!
まず、独立して
「時代のアイコンになりたい」という
佐藤可士和さんの想いをくみ取った
佐藤悦子さんは
「それでは、この業界で
知られているだけではダメだ」
という課題を真っ先に見つけます。
普通ね、すでに成功も手にしている旦那の
新しい夢にここまで理解を示し、
前に進むために敢えて厳しい意見を言うのって
結構勇気が要りますよ。
それでも悦子さんは
佐藤可士和さんの夢を叶えるために
「アートディレクター・佐藤可士和」の
ブランディングに尽力します。
最初はとまどいを覚えていた
佐藤可士和さんも、
その意図することが見えてきて
「時代のアイコンになる」ための
具体的な方法論として
世間への認知に努力をされます。
そうして
アートディレクター=佐藤可士和
という図式が世間で徐々に浸透していき
今の「時代のアイコン」としての
佐藤可士和ブランドが出来上がったのでした。
こんな先見の明と
はっきりしたビジョンと
その方法を知っていて
マネジメントしてくれる奥様、
なかなか探して見つかるものでは
ないですよー(^_^;)
これも佐藤可士和さんの
人柄によるものかもしれません。
いずれにせよ、
凄い夫婦です!
まとめ
いかがだったでしょうか?
アートディレクター・佐藤可士和さん。
その類い希なる才能と功績は
本人の努力はもちろん、
周囲の人との関係の中で
育まれてきたものだったんですね!
アフロもムッシュの
マネジメントを頑張って
してみようかしら?
・・え?もう手遅れッ!!?(>▽<;)
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!!