こんにちは。
マダム・アフロです。
今回はテレビ東京で
2018年4月9日(月)10:45から放送の
「夢遺産~リーダーの夢の先~」から
ぺんてる社長・和田優さんを
調べてみたいと思います。
創業72年、
老舗の文具メーカーとして
たくさんの人々の学びと支えてきた
ぺんてる社長の和田優さん。
今に至るまでにあった
紆余曲折に迫ってみたいと思います。
プロフィール
出展:pentelホームページより
生年月日:不明
2012年60才で社長就任とあるので1952年が有力
出身地:岐阜県
出身校:早稲田大学理工学部
目次
- 和田優(ぺんてる社長)のプロフィールwiki
- 和田優が代表取締役をする「ぺんてる」とは?
- 和田優・ぺんてる「らくがきカフェ」って?今後の展開
目次
1.和田優(ぺんてる社長)のプロフィールwiki
和田優さんは
早稲田大学の理工学部出身。
「おー!!」という肩書きですが、
当時はまだ珍しい
「経営工学」という
出来上がったばかりの学科に
進まれたことで
就職は苦労されたようです。
どこの企業が良いかという
情報が乏しかったこと、
就職難の時代であったとこ
何をやっているのか上手く伝わらず
10社以上落ちていた!(゜д゜)
・・凄く意外でした(^_^;)
そんなとき目に入ったのが
「ぺんてる」の赤い文字。
なんか知ってるな-、というのと
もう後がないということで
受けた「ぺんてる」に無事採用。
入社後は埼玉県吉川市へ配属。
今は「市」となっていますが
当時は辺鄙な場所だったようで
同期から「島流し」と言われたとも
笑って語っておられます。
そこで
シャーペンと替え芯を
作り続けること20年。
当時は社長になるとは
夢にも思っていなかったようです。
・・うん、そうですよね(^_^;)
黒鉛を扱う仕事柄、
一日の終わりには
服から顔から小鼻まで
真っ黒になりながら、
黙々と作業する日々。
今で言うなら3Kでしょうか。
辞めたくて辞めたくて
仕方なかったそうです。
そんな和田優社長を支えてくれたのが
当時一緒に働いていた職工さん。
気持ちを分かってくれ、
ふさぎ込んでいるときは声をかけ
一緒にお酒を呑んだりすることで
癒やされていたそうです。
結果、
辞めるきっかけを失った、と(笑)
そして製造課長・工場長へと
昇進されていきます。
その後、
2004年には取締役に。
2008年には常務に。
ついには2012年、
代表取締役とトップまで
昇り詰めることとなりました。
そんな和田優社長が話す
長く働いていくための秘訣は
「仲間を思いやり、
人間関係を築いていくこと」
だと仰っています。
製造課長になったとき、
先輩からもらったアドバイスが
今も生きています。
「自分が組織の長になったら、
一番優秀な人間を外に出し、
個性が強くて使いにくい人間を
もらってきなさい」
と言うのです。
ならばと実践すると、
本当にいい経験ができました。
ポイントは3つでした。
まず、育てようと
おせっかいを焼かないこと。
対等に、お互いがよりよく生きるために
話し合うのです。
次に、効果的なタイミングで
口を出すこと。
失敗するかな? と思っても口を出さず、
失敗して落ち込んでいるところで
対話するのです。
そして、
上司に怒られるときは自分一人で行き、
誉められるときは一緒に行くことです。
出典:現代ビジネス
大丈夫ですか?
世の社長さん!
逆のことやってませんか!!?(笑)
本当に色んなところで
発言されている
ひとつひとつの言葉に
人生と優しさが溢れています。
2.和田優氏が代表取締役をする「ぺんてる」とは?
ぺんてる株式会社は、
1946年創立の大手文具メーカーです。
出典:Wikipedia
創業者は堀江幸夫氏。
堀江幸夫氏の父で
筆職人だった利定さんが
1911年に浅草で創業した
「堀江文海堂」。
そこでは筆や墨、硯の卸問屋として
営まれていましたが
それが起源となっています。
創業当時の名前は
「大日本文具株式会社」。
今の名前になったのは1971年。
「pen」と伝達の意味の「tell」を
合成した造語で、
「ペンで伝える」という
意味を込めて付けられたそうです。
ただその元になったのは
当時の新開発パステルの商標で
その時の意味は「ペインティング」と
「パステル」の造語でした。
最初に販売していたのは
粉墨とクレヨン。
そこから他の文具や
それを作る生産機器なども
手がけながら
大きくなっていきました。
創業以来、
「先っぽ(ペン先)の技術」
「色」
「敷居を下げて気軽に使える商品開発」
を重点的に研究・販売し、
サインペン、プラマン、ぺんてる筆、エフ水彩などが
生み出されてきました。
特にサインペンは秀逸で
元アメリカ大統領
リンドン・ジョンソンが愛用したことで、
日本だけでなく世界で使用される
最大のヒット商品となり、
NASAの宇宙プロジェクトでも
使用されました。
「ぺんてる」というと
私たち世代には
上のサインペンなど
「アナログな文具」のイメージが
強いですが、
タッチパネルや液晶パネルといった
「ハイテクな分野」にも
進出しているようです。
3.「ぺんてる」の「らくがきカフェ」って?目指すは海外進出!?今後の展開
アナログ文具の衰退で
一時は経営が伸び悩んだ
「ぺんてる」。
和田優社長を筆頭に
新しい会社の生き残る道を
社員一丸となって模索されています。
面白いなぁ、と思ったのは
2015年に企画開催された
店内にあるものにらくがきができるカフェ・バー
「GINZA RAKUGAKI Cafe & Bar by Pentel」!
出典:ASCII.jp
期間限定のオープンでしたが
6月に第1回が開催された時には
2ヶ月で6000人以上の
来場者があったようです。
出典:ASCII.jp
あぁッ!ビーナスが!!?(゚Д゚;)
この背徳感はクセになる!?
出典:ASCII.jp
「ぺんてる」らしい
カラフルなフード・ドリンクメニュー。
このイベントについて
和田優社長は
「子どもの頃は気楽に
らくがきをしていたのに、
大人になると勇気がいる。
幅広い年齢の方に
らくがきを楽しんでもらうためには
もっとお客さんに近い場所が
必要だと考えた」
出典:ASCII.jp
と仰っています。
人との繋がりを大切にする
和田優社長らしいコメントですね。
精力的に新商品の開発や
人との関わりを大切にした
イベントを手がけている
和田優社長率いる「ぺんてる」。
最近は海外活動も活発で
売り上げの6割以上を
海外で稼いでいるようですね。
今後どのような夢のある展開を
見せてくれるのか、
楽しみに追っていきたいと思います。
まとめ
いかがだったでしょうか?
ぺんてる株式会社社長・和田優氏。
色んなところで
人柄の良さがにじみ出ています。
本当に「人を大切にする」
人なんだなぁ、と
調べていて暖かい
気持ちになりました。
そんな和田優氏が率いる
「ぺんてる」の
会社としてのビジョンは
私たちは、
感じるままに想いを
かたちにできる道具をつくり、
表現するよろこびを育みます。
出典:ぺんてる株式会社
コーポレートステートメントは
“ Discover the best ”
出典:ぺんてる株式会社
これからも私たちの
夢と希望を描き続ける
会社であってほしいと思います。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!