尾畠春夫が藤本理稀(ふじもとよしき)発見!捜索ボランティアの経歴素顔を調査!

こんにちは。

マダム・アフロよ。

山口県周防大島町で8月12日から

行方不明になっていた男の子、

藤本理稀(ふじもとよしき)くんが15日、

無事に保護されたわね!

同じ男の子を持つ身としては

ニュースを聞きながら

ご両親の心中を考えると

いたたまれなかったわー( ノД`)

そして、大きなけがもなく

無事に発見されたという一報で、

これまたご両親の心を思うと

安堵でいっぱいになったわね。

この救出劇で一躍有名になったのが

ボランティアで捜索に加わっていた

大分県の尾畠春夫(おばた・はるお)さん、78才。

出典:ameba TIMES

今回に限らず、いろんな場所で

ボランティアとして活躍されている

尾畠春夫さんのインタビューなどが

本当に聖人すぎると話題に…!

アフロも聞いていて

ホンマにこんな人がいるんだ…と驚き

調べてみたので

良かったら一緒に見ていってねー!

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1.尾畠春夫(おばたはるお)が藤本理稀(ふじもとよしき)くん発見!

藤本理稀(ふじもとよしき)くんが

行方不明になったのは

8月12日10時半ころ。

祖父66才と兄3才と一緒に

約400メートルほど離れた海岸に

海水浴に向かった時のこと、

家を出て100メートルくらいのところで

「帰る」と言って一人で家に向かったみたい。

祖父は理稀くんが曾祖父の家の近くまで

歩いていく姿を見送ったものの、

後から家を出た母親や他の兄弟と

出会うこともなく、

行方が分からなくなって

しまったのね。

このおじいちゃんの気持ちも

たまらなかっただろうな(´;ω;`)

凄くすごく自責の念にかられたと思う。

12日から警察や消防など150人体制で

曾祖父の家周辺を中心に捜索が

行われてきていたのね。

15日の時点で3日経過していたので

周りでは悲観的な見方も出てきて

いたのではないかしら?

そこに現れたのが尾畠春夫さん。

大分県日出町在住の尾畠春夫さんは

ボランティアとして理稀くん捜索に参加。

そしてなんと入山後20分で発見!!( ゚Д゚)

そこには尾畠さんの今までの

ボランティア活動経験で培ってきた

直観ともいうべき思考が…。

以前、大分の佐伯で

同じように2才の女の子を探した経験が

あるという尾畠春夫さん。

下に下るということはないと判断。

「不思議なもんで、子供というのは

上に上がるのが好きみたい」

語っておられるわ。

そして理稀くんの名前を叫びながら

曾祖父の家の北側にある山を700メートルほど

登って行ったとき、

「おいちゃん、ここ!」という声が!!

沢の苔むした岩の上に座る理稀くんを

発見した尾畠さんは心臓が止まりそうな

感じがしたとのこと。

尾畠さんの素晴らしい推理と行動、

そして3日間頑張った理稀くんに

惜しみない拍手を送りたいアフロよ(´;ω;`)

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2.尾畠春夫(おばたはるお)捜索ボランティアの経歴は?

尾畠さんは、その筋では

名の通った災害ボランティアの方みたい。

65才で鮮魚店を辞めたあと

「残りの人生を社会にお返ししたい」

全国各地で車中泊しながら

ボランティア活動されてきたとのこと。

今回も、広島で別のボランティア活動を終え

一時帰宅…でも報道で理稀くんの話を聞き

いてもたってもおられなくなった尾畠さん、

14日午後に現地入りして、

捜索に加わったらしいわ。

もの凄いでできた人ね~!!(T-T)

地元でも環境活動で表彰されたこともある

尾畠春夫さん。

先の別の2才の女の子の捜索でも活躍され、

熊本地震の際には初対面の

ボランティアの方々を統率する

リーダーシップを発揮。

また2011年3月11日の東日本大震災の時にも

津波で被災した宮城県南三陸町に

すぐさま現地入りして活動。

毎年、ボランティアを行う中、

風化していくことを恐れた尾畠春夫さんは

白装束を身にまとい、

「東日本大震災の復興を願う旅」と書いた

旗をリュックに掲げ、

なんと本州一周の旅に!!

出典:ドキュメント九州

いったい、この人を動かしている

パッションはなんなのかしら…?

こんな人がまだ日本におられることに

なんだかすごく勇気をもらったアフロよ。

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3.尾畠春夫(おばたはるお)素顔を調査!

理稀くんを無事に発見した尾畠春夫さん。

報道各社のインタビューに応じた尾畠さんは、

「小さな命が助かったと思った。

本当にうれしかった。

助かってよかった、助かってよかった。

ただそれだけ」

と語られているわ。

この度、なんと「情熱大陸」にも

取り上げられることになった尾畠さん!

そこから、彼の人生模様も見えてくるわね。

1939年大分県生まれた尾畠治夫さんは

実は小学校5年生の時に母親を亡くし、

農家に奉公に出ているのね。

中学校は3年間のうちの

4ヶ月しか通えなかったというから

結構、苦労もされているわね。

別府市や山口県下関市、

兵庫県神戸市の魚店で修業を積み、

東京都大田区で鳶と土木の会社で資金を貯め、

1968年に大分に戻り魚屋「魚春」を開業。

魚屋というと、この人も思い出すわね。

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地元の人気店だったが65歳の時に惜しまれながら閉店。

そこから「世の中に恩返ししたい」と

ボランティア活動に専念することに。

家族は奥様と48歳の息子、45歳の娘、

さらに孫5人!!

家族にとっても自慢のおじいちゃんなんじゃ

ないかしら?(*’ω’*)

尾畠春夫さんは40才で登山をはじめ

58才で北アルプス55山を単独縦走したとのこと。

山登りする人って

やっぱりすごい人が多いわね~!

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その頃からボランティアで

由布岳の登山道の整備を始めているというから

本当に「社会のために生きる使命」

持って生まれてきたような人ね。

月に7〜8回、

30〜40キロの材料を担いで登り

崩れかかった登山道の整備をしたり、

案内板を設置したりしたっていうから

色んな意味で人間離れされてるわ…。

66才で鮮魚店を引退した尾畠さんは

鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで

日本列島を徒歩で横断する旅に出ることに。

2006年の4月1日に出発し、

朝夕に聞く孫の声を励みに歩き続け、

7月1日に全行程3250キロを歩き無事ゴール!!

動機は?と聞かれると

「生まれた日本を縦に

歩いてみたかったのと、

体力がどのくらい持つのか」

というから、これまたビックリね( ゚Д゚)

先にも述べたように

東日本大震災でも活躍された尾畠さんは

なんと軽自動車で3日かけて被災地に

向かったとのこと。

2004年の新潟県中越地震でも

活動していた尾畠さんは

若いボランティアからは「師匠」と呼ばれ

慕われていたよう。

尾畠さんが現場に入ると

空気が変わる…というのが

周りのボランティアの人や被災者の談。

尾畠さんがいるだけで

「活気づく」というから

本当に「神がかって」いるわね。

ボランティアとして現場では

差し出されたご飯やお風呂も頂かないという

徹底っぷりは、生半可な気持ちで

ボランティアに参加する人にとって

大きな衝撃となって目から鱗が落ちそうね。

熊本地震の時にはすでに

「ボランティア歴25年」という

大ベテランになっていた尾畠春夫さん。

年数だけでなく、

その内容や実績も本当に凄いものね( ゚Д゚)

日本ってまだまだ

捨てたもんじゃないわねー!!

まとめ

同じように子供を持つ親としては

本当にうれしかった今回の

藤本理稀(ふじもとよしき)くん

発見のニュース!!

そして更に目頭を熱くさせられた

尾畠春夫さんという素敵な

ボランティアの存在…!

ボランティアは体力の続く限り

続けたいと話す尾畠春夫さん。

夢は100才で祖母山登頂!

座右の銘は

「朝は必ず来るよ」と答える

尾畠春夫さんは

本当に聖人のような人だったわ。

アフロも辛い時は尾畠さんの

「朝は必ず来るよ」という

言葉をかみしめて、

毎日を大切に生きたいと思いました。

今日も最後まで読んでくれて

ありがとうねー!

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