こんにちは。
マダム・アフロです。
今日は2018.4.17のABCテレビで
19:00から放送の
【林修の今でしょ!SP】より、
「五代友厚」と「広岡浅子」を
ご紹介したいと思います♪(・∀・)
明治を駆け抜けた二人の偉人、
「五代友厚」と「広岡浅子」。
NHKの朝のドラマ「あさが来た」でも
取り上げられていました。
主人公「あさ」を優しく強く導く
「五代友厚」…今でいう「メンター」ですね。
その二人の恋人とも思われかねない関係性は
放送当時、話題にもなりましたね。
今回は改めて二人の業績と
その接点について調べてみました。
目次
- 大阪経済再興の立役者、実業家の五代友厚とは?
- 明治を代表する「一代の女傑」、女性実業家の広岡浅子とは?
- 五代友厚と広岡浅子はNHKドラマのような親交があったのか?
目次
1.大阪経済再興の立役者、実業家の五代友厚とは?
出典:Wikipedia
五代友厚は
1836年2月12日生まれ。
幼名は徳助と言いました。
薩摩藩・島津斉彬と久光に仕えた
武士の出でもあります。
時は幕末から明治にかけての
波乱の時代、
ペリーの来航に胸躍らせた五代は
「開国論派」になり、
オランダ人から航海術を学びます。
イギリスの捕虜となって国に帰れなかったりと
数々の困難を乗り越えて
1865年には藩命によって薩摩藩遣英使節団として
英国に出発、ヨーロッパ各地を回り、
見聞を広めます。
倒幕にも尽力した五代は
明治新政府のなかで重要なポストに就き
大阪に造幣寮(今の造幣局)を誘致。
初代大阪税関長となります。
そして大阪はじめ各地で
紡績業・鉱山業・製塩業・製藍業などの
特筆すべきは
「大阪商法会議所」の設立。
火事場泥棒的な金儲けをする者を防ぎ、
お互いが助け合って新しい時代の潮流に乗り
大阪と日本が豊かになるように・・との思いで
設立された、この大阪商法会議所。
初代の会頭となった五代は
商工業の組織化、信用と秩序の再構築を行い、
「東の渋沢、西の五代」
と呼ばれる英傑となりました。
2.明治を代表する「一代の女傑」、女性実業家の広岡浅子とは?
出典:Wikipedia
一方の広岡浅子は
1849年10月19日生まれ。
今の京都府京都市にあたる山城国京都の
小石川三井家六代投手・三井高益の
四女として生まれました。
照という名前だった幼い頃から
学問に興味を持ちますが、
「女に教育は不要」という当時の慣習のため
読書を禁じられます。
今では考えられない世界ですね~(T^T)
17才で大阪の豪商・加島屋の
広岡信五郎に嫁いだものの
そこでも簿記や算術を自分で学ぶという
勉強大好きっ子でした。
20才で明治維新を迎えた浅子は、
傾きかけた加島屋を立て直すために
夫の信五郎と一緒に
実業界で大活躍を見せます。
炭鉱を買収し、
ピストルを懐に炭鉱に乗り込んだり、
加島銀行を設立したり、と。
ほんまに一歩間違えたら
ヤバい人でしたね~^_^;
彼女の活躍で加島一族は救われたけど、
彼女を見守った、夫の信五郎も
凄いなぁと思うアフロです。
幼い頃に、勉強を禁止された広岡浅子は
「女子教育」にも熱心で、
今の日本女子大学の設立の
大きな立役者でもあります。
こう見ていると、
本当にこの二人のおかげで
今の私たちの生活って
支えられてるなぁと感じますね。
(特に関西人(*^_^*))
3.五代友厚と広岡浅子はNHKドラマのような親交があったのか?
そんな明治の二人の英傑
五代友厚と広岡浅子。
NHKドラマでは、二人の関係が
本当に密に描かれ、
五代に導かれた広岡浅子が
彼に惚れてもおかしくはなさそうな
勢いでしたが・・
実際はどうなんでしょう?
ドラマは、あくまで
「五代友厚」にスポットを当てるための
フィクションであり、
五代友厚と広岡浅子に深い親交があったかどうかは
本当のところは分かりません。
しかし、歴史上の事実として
以下のことがあったようです。
1896年、五代は
大阪商人たちを東京に呼び寄せ
自ら為替会社・通商会社設立への
協力を要請します。
この時、同席していたと考えられるのが
浅子の夫・信五郎の加島屋の弟・正秋。
まだ当主になったばかりの正秋は
信五郎や浅子に色々な相談をしていたと
思われます。
そして、正秋は五代の説得により
「通商司為替会社」の総頭取に
就任しています。
その後、実業家として活躍した
五代は「大阪取引所」を立ち上げます。
そこで1882年肝煎(理事、現在の取締役)に
就任したのが
浅子の夫・信五郎でした。
加島屋は五代が創り上げた
大阪財界グループの一員でもあることから
五代友厚と広岡浅子に接点があったのは
間違いなさそうです。
まとめ
いかがだったでしょうか?
幕末から明治という
時代の過渡期を全力で生き抜いた
「五代友厚」と「広岡浅子」。
残念ながら、NHKドラマのような
深い交流があったかどうかは微妙でしたが、
ともに大阪や日本の未来に対して
熱い想いを持っていた二人なので
出会ったらきっと意気投合していたと思われます。
深い繫がりがあったのは
五代友厚と「加島屋」・・
そこから、色んな夢を膨らませるのは自由(*^_^*)
ドラマのような素敵な交流があったら良いですね♪
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!!